最後はやっぱり「まち、みせ、ひと」にたどり着きます。
「まち」にふさわしい「みせ」をつくり、「みせ」にふさわしい「ひと」が働く。扱う「モノ」は家具ですが、家の道具を通じて大切なことは何だろう。
古い道具を直して「売る」から始めて、どんどん変化してきた。気が付いたのは、変わること、そして変わらないことを考えて仕事をしてきたように思う。
使い捨てて、新しいものを使うことで経済が伸びることは十分承知している。しかも、その流れはどんどん加速していった。ありとあらゆる「モノ」が大量生産され、大量に販売され、そして大量に破棄されていく。本当にこれでいいのかとだんだん強く思うようになり、自分たちは変えてはいけないものに目を向けて仕事をするのもありだと、それが物を大切に使い続ける、あるいは古い建物を直したり、さびれてしまった場所にもう一度光を当てて変えてみたくなる行動をしはじめた。
その結果、「みせ」が少しづつ変わりながら「みせ」の周りも変わりはじめ、「ひと」が住み始めた。その結果として、大きな資本で大々的に開発された住宅地ではない独特な「まち」ができていく。まさに、「モノ」を売るにとどまらず、何だか住んでみたい場所だと感じてもらったりする仕事が、これから自分たちが進むべき方向だと思っている。
「コロナ禍で市場は縮み、少子高齢化で成長することは難しいからこそ、経済的な成功欲よりも、別の角度で今たずさわっている仕事を見直すことはできるし、その仕事の延長線上に新たな可能性もある。」なんて記事を読むと、まんざら、自分たちがやっていることもありだと。
やっぱ、田舎で生きるには「まち、みせ、ひと」しかないということになってしまう。