今から40年前の3月、32才で新潟大学の近くでリサイクルショップを始めました。いわゆる脱サラです。
店の名前は「ツールボックス」。学生さんに修理した家電品や家具を安く販売しようと考えていました。古いものに興味はあったが、そんなにのめりこむほどの思いはなかった。
金も無い。じゃあどうする?そこでまず、新潟市内の粗大ゴミステーションは全てチェックした。ところが、粗大ゴミを拾うことは並大抵のことではなかった。
そこには縄張りと先人達の殺気がありました。ゴミにも所有権があるわけです。「俺のゴミに手を出すな!」と威嚇された。だったら、彼らが動く前に行動するしかないわけです。
当然午前5時ではなく、午前2時に起きる日々が始まりました。ところが世の中って面白いもので、ある日私にNPO法人みたいなチームができました。
それがなんと日本歯科大学の学生さんたちだったのです。目の前に大勢いた新潟大学の学生さんではなかったのです。
この日本歯科大学の学生の中に、ちょっと風変わりな人間がいました。M君です。彼が私に提案してくる。「皆で軍服を着てシトロエンのバスで粗大ゴミを拾いましょうよ。」まずはカタチが大切だって言ってきた。
U.S.Air ForceみたいなM君と、どう見ても自衛隊の親父みたいな私なんだけど、彼が言うんです。「どうせやるならなんでも格好よくいきましょうよ!」
それは、彼らはセンスがいいわけです。なんてったって日本歯科大学の学生さんですから。でも、だいぶ変わった学生でもあった。どうせやるなら日本の古道具よりアメリカの古道具もいいかも。まだ誰も本格的にやっていないしね。こんなことがキッカケで、北は青森の三沢基地、南は岩国の米軍基地と、日本中の米軍基地を回りました。この間、約15~17年くらいだった。
このアメリカ軍の基地回りが、その後の私に大きな影響を及ぼします。
そこで出会った「人」「物」「事」を書いてみようと思います。