『家』を建てるということは人生最大の買い物。
しかも、『家』の建て方や工法の選び方は非常に難しい。
おそらく完全な工法はない。
どんな工法もみんな一長一短がある。
完全な人間がいないのと同じ、だからこそ信用できる業者を選ぶことも難しい。
と、今から20年以上前に『やすらぎの住居学』『やさしさの住居学』という本を清家清という人が書いている。
何事も『人』だとも言っている。
どんな人が信用できるのか、非常に難しい。
高級外車に乗っている社長もいれば、商業バンで仕事をする社長もいる。
歴史ある業者、デザインが良い業者、親切できめ細かい業者、その他、様々な強みを持っている。
逆に、弱みも持っている。
だから人はわからない。最後は『エイ・ヤー』で決めるしかない。
殆どの人がそんなにわからないと思う。
10年前、大工の土田君が『俺にできる仕事ないですか?』と、S.H.Sを訪ねて来たとき、うちは建設業じゃないのにどうしてと質問した。
そしたら、『今の住宅はプラモデルを組み立てるみたいな仕事で、もういいかなと思ったんです』と言っていた。面白いことを言う若者だなと思い、『じゃあ、明日からくる』とそんな出会いから始まった。
実は彼の実家は何代も続く大工という職人の家柄、だから不思議だった。
それからもう10年経った。
この土田君の名刺には『建てない大工』と書いてある。
主に店の内装・外装、さらにペンキ塗り・板金と、ありとあらゆることをやる。
S.H.Sの空間は図面に基づいて作るのではなく、こんな感じとか、あんな感じ、さらにイラストや写真をもとに表現している。
だから技術も大切だが、センスや挑戦する気持ちがもっと大切だと彼を見ているとわかる。
そうすると小さなリフォームの話が生まれる。
『ぜひ、やってもらえないか』という。
本当にうちでいいんですか?という感じです。
そして今、彼はS.H.Sのお客様で、30年以上お付き合いいただいている方のご自宅の再生をやっている。
非常に責任が重いと思っています。
設計士は先生と呼ばれ大切な仕事、それより土田君のような大工は『家』を『カタチ』にするには絶対的になくてはならない存在。
改めて大工や職人が減っていくということは、『家』がどんどん工業製品になっていくような気がするし、『家』そのものが土田君が言っているプラモデルのような組み立てになり、最終的には大工も職人もいらない組立作業員でできていく。
彼の『勘』はするどい。しかも先が見えている。
『家』を建てる人の多くは35年という長いローンを組んで生きていく。
建てる業者の責任は想像を超える重さと覚悟が必要なんだと思う。
ということは、大切なのは建てた後の色々な不具合が生じたとき、迅速に対応し解決するという責任。
『家』が完成するまでの時間は3ヶ月くらいかもしれないが、完成してローンが終わるのは35年という、気の遠くなるような時間に対し、ずーっと付き合う責任がある。
清家さんが言っている、最後は『人』だというのはこの事なんだろう。
土田君が自身を建てない大工と言っているのには色々な考えがあるように思う。
逆に、彼に建ててもらいたい、直してもらいたい、という依頼があるのはすごくわかる気がする。
大工冥利に尽きる。
どんな仕事もこれを目指すことが一番だと思うけどね。