10人中5人が『賛成』したら、だいたい手遅れ。
7人~8人が『いいね』と言ったらやめた方がいい。
2人~3人が『いいね』と言ったらすぐやればいい。
もし失敗したら、お前が『いい』と言ったからやったのにと、そいつのせいにすればいい。
誰も『いいね』と言わなかったら悩めばいい。
そして、覚悟を決めてやって失敗すればいい。
すると、他人にはわからない何かを掴む。
改めて物事は思い通りにいかないということを。
ただ世の中にはほんの一握りの人がすごいことを成し遂げる、それも事実だ。
自分も含め、ほとんどの人はそう簡単には上手くいかない。
約40年、何度も店の移転を繰り返して考えることがある。
スタートは自分の『こだわり』に酔って、場所にこだわり、やることをこだわり、扱う物にこだわって店を出す。
でも1人もお客様は来なかった。
要は、自己満足ショップだからだ。
『こだわり』という言葉は耳ざわりのいい言葉で、しかも俺の場合、何かあるとその『こだわり』に逃げていた。
そこから人の集まる商店街へと動いた。
そこはそこで新たな悩みと『壁』が見えてくる。そして気付く、ゴールなんてない。勝ち負けもない、生きるということ、走り続けること、するとこうじゃない、もっとこうだよな、これが『こだわる』ことのレベルをもっと上げようと思って出店したのが鳥屋野潟であり、高畑の森に辿り着いた。
それこそ、あんな場所大丈夫と10人中10人が反対するような場所だった。
スタートのときと違うのは、失敗の数が半端なく多く経験したこと、店の数を増やすことより、その『街』を代表するようなさびれてしまった場所を若い連中と何十年もかけて作っていく。
何度も書いているのでまたかと思うでしょうが、衰退する場所には衰退するなりの古い『常識』がある。
だからこの衰退を打開して、店をつくり、人を呼ぶことで新たな可能性を生むことになる。
『常識』をぶっ壊す、これに敏感に反応する若者が一人また一人と仲間に入ってくる。
これが民間の中小零細パワーだと思っている。店の周りの環境がどんどん良くなっていった結果、鳥屋野店の周りの土地の価格が15年間で4倍も坪単価が高くなったし、住む人がどんどん増えてきた。
ある本に『百人の合意より、一人の覚悟が街を動かす。合意形成にかける時間があるなら、事業に挑戦し、批判を受けても継続し、結果で地域にプラスを生み出せばいい』と書いてあった。
S.H.Sの鳥屋野も長岡の高畑も、まだまだ旅の途中、これからが街を作る会社、いや、家具屋として続けていきたい。