どんなことにも、今に至るまでの物語があると思います。
S.H.S長岡店も20年以上商売を続けています。
移転と失敗を繰り返してきた、それなりの物語です。
スタートは城内町の古い3階建てのビルでした。自分達で内装工事をしてオープンしましたが、初日、大勢のお客様が来店されましたが売上げは『ゼロ』でした。
それから左近という場所、その次が要町の交差点の180坪の2階建ての倉庫。ただこの倉庫の前の道路は近い将来、道路幅が拡張される計画があるので、それを承知で商売やって下さいと不動産屋さんに言われ、また何となく不安定な物件しか出会わない自分だなぁと思いながら、お金を掛けれない中途半端な形で何年かが過ぎた時、知り合いが、『あんたの好きそうな物件』が競売に出ているよ。と言われ、見に行ったのが今の高畑の割烹旅館だった。
その当時、競売物件にもかかわらず、前の持ち主で経営者の家族がまだ住んでいた。私は何とも言えない複雑な気持ちだったことを今でも覚えている。そして商売がうまくいかない時、最悪な状態に自分も同じになると痛いほど感じた。
『競売』というのは地方裁判所の管轄で、普通の民間の不動産売買とは違う。差し押さえられた土地建物を入札で競る。ところが、地元長岡の人は誰一人入札をしなかった。最終的に私一人しか入札しなかったので、私に落札した。
地元の人は『あんげな場所』と見向きもしない。
いつもそうです。
鳥屋野の倉庫も、あんな場所、人が行きますか?もっと商売としての立地は人の集まる場所でしょう。などと言われていましたから、高畑の魅力は私にしか分からないだろう。だから普通じゃないかもしれません。
よく言うじゃないですか、基本は、よそ者・バカ者・若者ってね。
私はよそ者でバカ者ですが、若者ではないです、見た目はね。でも死ぬまで現状に対し、変化していかなければ成り立たないと思っているわけです。
高畑のS.H.S長岡店は、宿泊と食事と暮らしの提案というコンセプトで、死んだ気になって再生し、今に至っています。
あっという間に11年が経ちました。
おかげさまで、年間6万人以上のお客様が来店していただき、約70万人くらいの人に足を運んでいただいたことになります。
歴史ある長岡館という割烹旅館を新しく編集しなおし、再生したことによって昔を知っている先輩の方からは、懐かしさと驚き、高畑町の皆さんからは『化け物屋敷』で物騒な場所に光が差し込んだと喜ばれ、今では森の中のロケーションの素晴らしさから、年間30組くらいのレストランウエディングが行われ、過去8年くらいで240組の新しい家族が生まれた。結婚式を挙げたカップルにとって、この高畑の森は一生忘れられない記念すべき特別な場所になっている。
ただ残念なことに、S.H.S長岡は市街化調整区域ということで、様々な規制があります。
廃業した旅館を落札して、膨大な時間とお金をかけて、宿泊事業だけでは成り立たない商売を何とか再生して、時代の変化と人間の価値観の変化に対応していかなければ、地方の商売はもう存在していくことはできないだろう。
改めて、長岡は城下町であり、歴史の町である。都会のまねではなく、今ある歴史的な物や場所、あるいは古い物、そこにしかない物に目を向けて創り上げていく、そのことが地元だけでなく、都会から人を呼ぶことになる。花火だけに頼る町づくりではなく、小さな会社の小さな力で時間を掛けて既成概念にとらわれず、時と場を再生する事業をやり続けているのが、我々S.H.Sなんです。
高畑から見える道路を挟んだ目の前の地域がこの10年で大きく変化している。病院はできるし、住宅は200世帯くらい建設されるし、それに伴って商業施設はどんどん出来るし、この差は何だろう?我々の願いは、新しく何かを作る行為ではなく、目の前にある古い旅館を、今の時代に支持されるように再生し、自然と一緒に体感してもらう事業だということをわかってもらいたいだけなんです。
何でこんなに長いブログか、わかる人はわかると思います。
また、長岡店を変化しないと続けられないからです。
世の中はものすごいスピードで変化している。民間は潰れるという恐怖が根底にあります。だから常に現状を否定するのが当たり前で、事なかれ主義などで残れるはずはありません。
わかってもらえますか?