城丸正ブログ

『ありがとう』と言える?

2019.03.04

2015年11月、私と息子にとって移植という大きな手術をした。

無事に終わったとき、人生で最高の幸せを感じた。ものすごく『ありがたかった』。それと、他の些細な事など、どうでもいいし、大した事でも何でもないと思った。

だが、時間とともにありがたかった事や、嬉しかった事が小さくなっていく。

体験や経験は、その人にとってかけがえのない財産ではあるが、時間とともに『ありがたみを忘れる』。

例えば新しい家を買ったとき、その瞬間、最高に素晴らしいことだと思う、ところが一年後、当たり前になり、あるいは修理が必要になったりすると、何となく気持ちが沈んでくる。新しい出来事による幸せは長続きしない。こんなことは色々な場面で起こっている。

日常の様々な出来事、例えば売上げが思うように上がらないとか、資金繰りがどうのとか、些細なことでイライラするようになる。私もいつの間にか生きていることが当たり前になってしまった、誰もがそうであるように。だから私は手術をした日を記念日にしようと思う。そして自分はものすごく幸せな人間だと感謝することにしようと思う。

実は退院してからブログを書く量がすごく増えた。歳も取って来たし、無意識に書き残したいと考えている。

最後はありがとうと言える状態、それが幸せなんだろう。

死ぬまで書くと思う、書くことで自分への反省であり、見直しでもある。