【特集】 平成最後の、社長のホンネ


1月某日、編集者としてS.H.Sのある鳥屋野の本社社長室へ向かいました。城丸社長に、このウェブサイトへ掲載するための本インタビューを取材したいとお願いをし、ものの数日で日程が決まり、カメラの前で本音を語っていただきました。 城丸社長の声は一部ラジオと日々のブログで聞こえてくるものでお分かりのように「喝!」な方です。仕事に対する愛情と厳しさをもった、怒られるかもしれませんが「昭和のオヤジ」を体現する人。そして考え方も常人のそれとは逸脱したものだと、初めてお会いした日から思っていました。

 

昭和後期にS.H.Sはスタートし、平成が終わって、新しい時代に突入しようというこのタイミングで、改めて城丸社長の考えやビジョン、それにS.H.Sってどんな店なのかという手垢のついた質問に至るまでお聞きし、ウェブサイトや来店を通じて最近知った人にももっともっとお店のことを知ってもらいたいと考えた結果、今回の企画ができあがりました。

取材の中ではホンネがたくさんお聞きできた反面、ここに掲載できないお話もたくさんありました。皆さんにはギリギリまでお伝えします。

 

 

 

 

 


20坪の原点

何度もお話いただいていると思うのですが、平成31年になって…昭和から始まっているS.H.Sの成り立ちを改めてお話いただければ。

 

城丸 そうですね…今から…37年前か。新潟大学の外れで、学生相手のリサイクルショップを始めた。その当時、リサイクルとかエコなんて言葉は主流じゃなかった。バブルだからさ。学生はそんなにお金がないだろうと思って、中古品をキレイにして学生相手に洗濯機であったりテレビであったり…そういったものを売ろうと。そこがスタートですね。自分がサラリーマンを辞めて商売をやろうと思い立った時に、それしか思い浮かばなかった。ちょうどその前後かな…倉本聰の<北の国から>というドラマがスタートして。最初は視聴率が低かったらしいんだけども、すぐにバブルが来て、人が使ったものをキレイにして売るという商売が商売になるのかという声は大きかったんですね。一方、少なくともそういう時代を何かおかしいなと思っていた人は多少なりともいたんじゃないかなと。その代表的なドラマが<北の国から>。倉本聰が描く自給自足の生活。まだ使えるのに捨ててしまう…そういうことに対する疑問。そこが、後付けなんですけど動機かなと、そこを起点に物事を考えるようになりましたね。そこで1年…やったかどうか。結局、学生相手にそんなことやっても商売にならなかったわけです。話題にはなるかもしれないけど、商いとイコールにならなかったことを身をもって感じた。そこでやっぱり商店街かなと考えて、当時の商店街といえば古町が俺にとっては魅力的だった。たまたま貸店舗が出ていて、お願いに行ったんですけど家賃が高くて借りられなかった。そしたらね、その家主さんが新潟大学のお店まで来てくれて「少し安くするから借りてくれないか」と言いに来てくれた。

 

どの辺の物件だったんですか?

 

城丸 3番町の…今は美容室がある所かな。そこを出てからは美容室が長くやってる。

 

場所が良いんですかね。

 

城丸 良いのかな…分かんないけど(笑)その時、家主がわざわざ私に会いに来てくれる関係性に縁を感じたんです。ただの貸し借りではなくて家賃を下げてでも、という働きかけに心が動かないわけないじゃないですか。

 

新潟大学近くのお店はどれくらいの広さだったんですか?

 

城丸 20坪。

 

結構小さかったんですね…。

 

城丸 小さかった。

 

古町ではどれくらいでしたか?

 

城丸 あそこは35か40坪くらいかな…。

 

倍くらいになったんですね。

 

城丸 そう。最初はリサイクル、日本の古道具を扱っていたんだけど、古町ではアメリカモノをやってみたいなと思うようになった。

 

 

 

無骨で無装飾なロッカーにオリジナルステンシルが施されている。

 

 

もともとアメリカのモノに関心があったんですか?

 

城丸 あったわけじゃない(笑)で、その頃、日本歯科大学の学生が5~6人手伝ってくれた。面白いでしょ?

 

どうして手伝ってくれたんですか?

 

城丸 理由を聞いてみたら「すげえ面白い」って言うんだ。よく考えてみると、その当時の学生って…今もそうかも知れないけど、あれだけの学校に入れる入学金と授業料が払える家庭環境ってことはさ、恵まれているってことだよ。無いものが無いってことですよ。にもかかわらず、私がやることに興味を示して無給でやってくれる。そういう学生さんたちからアイデアをもらうんだよ。「アメリカの古道具ならどうか」と。アメリカまで行くお金がないから米軍の基地を周る。横須賀、座間、立川、福生。行ってみたけど何をどうしたら良いか全然分からない。

 

米軍基地にはなかなか素直には入れませんよね。

 

城丸 パスがいる。あそこはアメリカだから。最初は入ることも手続き上どうやったら良いか分からない。そこで扱うようなものや払い下げ家具を扱う店には行けるから、そこで繋がりを持つ。でも競争相手が多いわけさ。「じゃあ少ない所は?」となると北に行くわけ。青森の三沢基地。で、夜ね、トラックを借りて下道で15時間行く(笑)すると朝に着くわけ。基地の周りには古道具屋、スクラップ屋がある。米軍基地からゴミとして出されたものを一手に引き受ける業者さん。そこを市役所の関係の人だったかに紹介してもらって手伝いに行く。そしたら手伝わされるんだけど「これから基地に行くから手伝え」と。「手伝いますけど、良いものがあったら売ってくださいよ」「分かった分かった」と。人手がないもんだから。その中から欲しいものを選ぶ。すると「○○円だ」って言われる(笑)

 

(笑)タダ同然のゴミなのに。

 

城丸 そう!ゴミでタダで持ってきたものに値段を付けるわけ。そういう世界の中でなんとなく商売の基本みたいなものを学ぶ。競争相手が多い関東が駄目だとしたら北に行く。そうしたら相手がいないわけさ。10年以上通ったね。通算すると15~20年くらい基地周りをしてたんだよ。

 

じゃあ割と最近まで(笑)

 

城丸 そうだよ(笑)鳥屋野に移ってからあまり行かなくなったけど。それまでは何かと基地を周ってた。そこにはとんでもない人間がいたよ。自分の知っているような限られた世界じゃない人。その中で「あっ」と思ったのが今じゃ有名な人たち。アクメファニチャーの安田さんとか。県外のちょっと異質な人たち。オキドキとかハリウッドランチマーケットの創業者とか。向こうは知らないと思うけど。今こんなふうになるなんて思いもしなかった。そんな出会いが商売に対する刺激になったような気がする。

 

 

 

今のお店からは考えられないような経緯からスタートしています。最初はサープラス(放出品)とも言えないガラクタ(と言うと失礼かもしれませんが…)を業者と一緒に回収して周る。今からするとかなり面白そうな体験ですが、バイイングの基本的な部分をここで 学び、多くの出会いや刺激を得ながらお店の世界が形成されました。しかし古町の商店街でも辛酸を嘗めることになります。

 

 

 

 

 


商店街から郊外へ

城丸 店を開く場所に思いがあるよね。一番大事なのは「誰に」「何を」「どんなふうに提案するか」の三原則。そうじゃない所がたくさんある。おれは最初に学生相手だった。次の商店街では社会人に対して。日本の古道具じゃなくアメリカの古道具なら面白がってくれるんじゃないかって変えてきた。古町で約15年か。で、なぜ商店街を辞めたか。分かる?

 

「人がいなくなったから」?

 

城丸 それもあるんだけどね…一番はミニパトのお姉ちゃん。

 

ミニパト?ミニパトってなんですか?

 

城丸 え、ミニパト知らないの!?駐車違反を取り締まる女の子。今いないのかな。

 

見たことないですね…。

 

城丸 あれ…その当時喧嘩し放題(笑)

 

駐禁を取り締まるために張ってたんですか?

 

城丸 張ってる。5分置きに見に来る。今無いんでしょ?

 

知らなかったです。今は無いでしょうね。

 

城丸 古町通りは駐禁の成績を上げる絶好の場所だったんだよ。

 

駐車場も少ないし狭いで。

 

城丸 そう。それに嫌気が差した。古町を再生したいとか活性化したいとか今は言っているけど、当時商店街で商売をやりたいって言って夢と希望をもって来ているのに、店の前に車を止めた瞬間に切符切るんだよ。ありえないだろ!

 

今いないからそういうの辞めちゃったんですね。そのせいか分からないですけど、今の古町は人が少ないですね…。

 

城丸 大喧嘩して捕まるんだ。法律違反だって。当たり前だけど。「おれらの商売邪魔すんのか」って言うと「法律に基づいて捕まえているのに邪魔じゃないでしょ」って言われる。やがて後ろから男の警察官が出てくる。そういうことにね、時間をかけるのがバカらしくなってくるんだ。

 

それはちょっと分かります(笑)

 

城丸 分かるだろ(笑)それもあったし、商店街で自分の表現ができないなっていう見切りもあった。その頃、もうだいぶ基地周りしてた。倉庫を探す…「サルベージ(引き上げ作業のこと)」って言うんだけどさ、倉庫のなんとも言えない雰囲気が好きで。軍の払い下げを収納する場所としてこの(鳥屋野)の倉庫を古町時代に借り始めた。その時、周りを見て「鳥屋野で店ができたら最高だな」と直感的に思ったのね。それが今の店に出会うきっかけになった。じゃあ店にするにはどうしたら良いかと考え始めて、もう中心商店街を捨てようと。「捨てる」ってのは格好いいけど逃げようと。関東から北に逃げていったように。商店街という群れから離れて、ここでマイナスからスタートする方が時間をかけてじっくり取り組めるかなとも思った。

 

 

 

愛用している洋服やシューズは新品のものには出し得ない、使い込まれた美しさがある。

 

 

この倉庫(現在の鳥屋野店)の雰囲気作りというのは、当時の米軍基地のガレージのイメージを求めていたとかはあったんですか?

 

城丸 ないない。深い考え方があったわけじゃない。出会う瞬間に考えちゃう。後になって新潟とか長岡という街がどういう所か、というのが全部今まで自分がやってきたことと当てはまってくるわけよ。例えば「新潟ってどんな街?」って言われて一言で言えない人が多いじゃない。でも、最近じゃ水と土の芸術祭なんかもあるけど、海、川、沼、つまり「水の街」なんだよ。商店街から本能的にここに移ったのは、近所に沼(鳥屋野潟)があるからなんだと。最初はリバーサイドやシーサイドも考えたけど、そういう場所と違ってここは誰も見向きもしない。

 

当時は周りに何も無かったわけですよね。

 

城丸 何も無かった。そこが「水」という後付けで考えるとばっちりはまる。新潟の強みってこの自然なわけなじゃない?敢えて商店街にこだわる必要ないって思ったのさ。自然を背景にして何かをやるってことがこれから凄い強みになるだろうっていうのがどこかにあった。

 

今までは人通りがある所(大学前、古町)に出店して営業していたわけですが、人通りがない所(鳥屋野)に出ていくことへの不安は感じていましたか?

 

城丸 あるさ。実際俺も言われたし、銀行にも言われたよ。普通の人は失敗があるから具体的に行動できない。でもこれだけモノや情報が溢れ返っている時代だからこそ、やっぱり特徴をもう一度見直す必要があると思う。

 

長岡のお店はもともと旅館とのことですけれど、その場所を選んだ理由もお聞かせください。

 

城丸 長岡も(鳥屋野を選んだ理由と)同じだよ。いつだったか…中学生の前で話をしてくれって言われて、さっきと同じ質問をしたの。「長岡って一言で言ったらどんな街?」って。答えられないわけ。周りの大人が「長岡ってさ」っていう話をしていないんだよ。

 

聞いたこともないってことですか?

 

城丸 そう。「城下町でしょ」って言うんさ。それすらも無意識。だからもう一度、城下町であり歴史の街だというロケーションを再生したい気持ちがあって店を開いた。本当はどういう街なんだろうということを見つめ直す必要があると思う。遠い所ばかり眺めていてもしょうがないじゃん。そういう意味で何も変哲もない地元が魅力じゃないかと思ってるということかな。

 

 

 

直感的に感じ始めていたことが、後から考えてみると自分には正しかったんだと確信できる。そこには、無意識に理屈があったのではないかと、聞きながら感じ取れました。様々な経験や知識から「これだ」と結論付けるスピードと、それを実行するスピードは、今の私たちに必要なものではないかとも思います。

 

 

 

 

 


ファスト化した家具業界に思うこと

話は変わって、大型の家具店舗が全国にある中で戦っていくことになると思いますが、ファストファッション化した家具に対する懸念、逆に将来的な希望などもあればお教えいただきたいです。

 

城丸 うん…そうだね…。商売上、我々みたいな小さな組織が地域の中で支持され続けるに大事なことと、自分たちができることはなんだろうと。安い人件費の国で大量生産して、それを大量に販売するっていうのは、この小さな日本という国では1社くらいしか成り立たないんだよ。

 

マーケットの大きさの限界ということですか?

 

城丸 マーケットもそうなんだけど、日本人の家具インテリアに対する価値観、これが育っていないんですよ。そういう店が無かったから。もちろん地方の家具屋はあったけど縮小しちゃって、そうこうしているうちにファストインテリアがどんどん出てきた。それは日本では作らない。高くなるから。日本には技術があっても、中国やベトナムで似たようなものはできる。いかに儲けるかという発想。良いんだ、いかに儲けるかは良いんだけども、「耐久財」じゃなく「消耗品」なんだ、「ファスト」っていうのは。長持ちしない。そうするとどういうことが起きるか分かる?「捨てる」ってことだよ。大量の廃棄が始まる。それがどれくらい地球に負担をかけ始めてるか。家具業界ではないけどもパタゴニアみたいな企業は独自の哲学で商売を始めてて、自分も共感し始めた。我々もこの業界の中でできることってなんだろうと思って。うちでは「直す」ってことをしているけどそんなの当たり前のことで、その前段階で「直してでも使いたいもの」を買っていただくのが、本来の日本の「モノを大切にする」価値観じゃないかと思う。服や家具はハイテクとは違うから「長く使っていきたい」価値観。どこから生まれると思う?

 

私は愛情だと思います。

 

城丸 そうだろ?例えば自分の知り合いがあの店で働いてる。そういう人の説明を聞いて最終的に買い物してくれる。このプロセスって本来一番大事だと思う。それも含めてネットや「便利でカンタン」「安くて早い」という価値観の中での抵抗でもある。「本当にそれでいいんですか?」って。ベースにあるのは損得じゃん。物事の全てが利便性を追求しすぎたために本当に手間暇かけて作ったものに対する憧れとか価値が無くなってしまった。(それに抵抗したいから)自分の仕事をしてきた見解として、今のカタチになった。

 

逆に希望という部分では何か感じていますか?

 

城丸 全体が100人の村だとしても、たった1人くらいはおれらがやっていることに共鳴してくれる人がいるんじゃないかと思ってる。その1人のためにやり続けるのも大事なんじゃないかって。新潟県の人口230万人であれば1%、年間2万3000人のお客様が買い物して成り立つ規模で良いじゃないかと思ってる。

 

では競合とはいえ、相手にしているものが違うと?

 

城丸 そう思っていたい。でも生活者はいろんな情報で選択するじゃない。例えば家具屋が「安くてもこんなに丈夫ですよ」と謳ったりして情報を発信する。それを海外で作ったお蔭で、本来日本で作れるものだけど、どんどん工場が潰れてる。でも日本製品だったらわざわざそんなことしなくても良いんですよ。当然だから。

 

高いかも知れないけど出来が良いから。

 

城丸 そんなことは当たり前だから。あれは日本独特だよな。おれは時代遅れの人間かもしれないけど、効率よりも大事な同じ仕事をしていく仲間に責任をとりたい。

 

 

 

画像の端々に見える山のような本。社長室はほとんど本で埋まっている。

 

 

そういう意味では社長のポリシーはどんなことですか?

 

城丸 好きな仕事を好きな人間が集まって好きなようにやる。それでファンが出来たら最高の喜びだなって思う。最近国が「働き方改革」だの「長時間労働がどうの」だの言うけど、これだけ成長しない時代に自分ができそうだと思う仕事、好きな仕事を好きな人間と好きなだけやりゃいいじゃないかと。そこに「使う側」と「使われる側」のなんとなくの意識の隔たりがあるとしたら意味がない。自分の興味のある本を読んで10年20年とってあるんだけど、もう一回読み返したりすると本当に言いたいことって変わらないなって思うんだよ。今も昔もおんなじことが書いてある。ということはどんなに社会が変わろうが、人が人と何かをやる時に絶対的に変わらないことがあるだろうと。給料は多い方が良いのは当然だけど、皆で作っていかないと。俺には新築の家も高級車を乗る力もないけど、皆と一緒にやる仕事で俺らにしかできないことをやっていきたい。やっていかなきゃいけない。そういうことしか話をしないでしょうね。だって小売業の中でさ、今どき誰が家具屋なんてやるんだよ。配達はある、クレームはある、修理はある、在庫も展示が広ければ広いほどお金が寝るわけよ。ZOZOの前澤から見たら「馬鹿じゃねえの」って思われるよ。好きだからだよ。

 

 

 

お金を稼ぐのはとても大事なこと。経営者になればどんな人だってその大事さは知っている筈。自分の生活はもちろん、雇用者にも生活がある。この好きな人たちも食べていかなければいけない。だけど、お金を稼ぐのと同じくらい「好きな人たちと好きな仕事を好きなようにやりたい」という気持ちももっているのが、普通の経営者にはない考えだなと感じました。好きなことを好きなようにやるのは大企業ではなく小企業の醍醐味でもあるかもしれません。

 

 

 

 

 


共感してくれるたった一人を見つけたい

通信販売されていないじゃないですか。他のお店はしている所も多い中、ここは直接お店に足を運んでもらっているんですが、そういったお店づくりでこだわっていることはなんですか?

 

城丸 基本的に飽き性なんだ。同じ空間とか連続が嫌になる。

 

長く使えるものは好きだけど空間は新しいものが欲しくなる?

 

城丸 そう。飽きちゃう。あっという間に時代は変わるんだけど、それに合わせて商品をどんどん入れ替えるのは不可能に近いわけさ。たぶん人の生活を観察したら、去年と今年全く違う環境で過ごしていることなんてないでしょ。だけど、店は壁が変わるとか床が変わるとか照明が変わるとかしないと商品が引き立たない。売り場って何坪って呼ぶけど1坪ずつちゃんと見なきゃいけない。空間そのものにスポットを当てないと。うちの30代くらいのスタッフは商品に合わせて提案をよくしてくる。売り場の空間とか空気感が大事なことを知っているから。「これで良い」ってことはなく変化していく。出店していくお金があるくらいなら、今あるお店に時間とお金をかけるのが一つの方法じゃないかなと思ってる。

 

それもまた今の時代と違う部分ですね。年末年始、お店を見させていただいても多くの方が来店していて、週末になれば駐車場も足りないくらいですが、S.H.Sを運営してきて良かったことってありますか?社長は週末になれば自ら駐車場の誘導員をしていることでも一部知られていますよね。

 

城丸 誘導に立っていると、店に入る前の本音と出てきた後の本音が聞けるわけ。

 

ああ、なるほど!

 

城丸 品川ナンバーとか沖縄ナンバーとか、県外ナンバーには割と声をかけていく。「初めてですか?」と聞くと「仕事で~」とか「カミさんの実家が~」とか色んな理由を聞ける。帰りにまた聞くんですよ、「いかがでしたか?」って。すると「いやぁ面白かったわ」って。特に東京の人は「絶対東京にはないです」って言うんです。「無かったら買っていってください」って言うと大笑いするわけよ。そういうコミュニケーションというか本音の部分のリサーチができる。2~3時間平気で居るわけよ。ショッピングモールは別として、うちはちょっと特別なのかもと思うわけ。でも行政もマスコミもクローズアップはしないわけさ。分かる?その理由。

 

いや、分からないです。

 

城丸 これは完全に俺の偏見だよ。市やマスコミが取り上げない所が上手くいくと、存在意義がなくなるから!(笑)

 

自分たちの役割じゃない所でうまくいってるのが面白くないってことですか?

 

城丸 そう!ださいだろ?

 

 

 

素朴な疑問なのですが社長が好きな家具ってなんですか?

 

城丸 ああ…無くなったね。自分のやっていること以外にも支持されるにはどうするか考える、これが俺の仕事だなって思い始めた。カーブドッチに参加してもらったら客層がどんどん変わって人も増えたことでそれに気づいた。商店街もそれに似ているけどちょっと違うんだよな。入りづらいとか、縁がないとかってなるでしょ。

 

同じエリアと同じ空間の違いですね。

 

城丸 そう。ここに来た以上色んな所を見てくれるようになる。そういうお客様を見ていると業種を超えた編集力が大事だと思うようになった。徐々にお店が拡大していって、店の周りを見ると図書館、科学館、式場、出版社、建築事務所。その業界を代表するような施設が少しずつでき始めて、点だったものが線になって面になって、いよいよ「鳥屋野に住みたい」という人まで増えてきた。「こういう場所で子供を育てたい」という人が増えていて、更地ができればすぐ埋まる。地域に対する影響を作り出すのも凄く大事な仕事になってきたんじゃないかと。

 

そこに行き着くのは面白いですね。もともと家具が好きだった筈が、仕組みづくりに面白さを感じていると。

 

城丸 不動産屋さんからそういう(住みたい人が増えた)話を聞くと「なるほどそういうことか」と思うわけ。商店街とは全く違う方法論じゃないと成り立たない。大型ショッピングモールの力を前にシャッター通りと化す中心商店街に対して、家賃補助などで街の中心を活性化したいと言っているけど、皆さんから集めた税金をなんでそんな所に使わなきゃいけないんだって思う。

 

無駄じゃないかと。

 

城丸 無駄でしょうが!おれたち中心から逃げてきた人間だよ。なんでそこにお金を使われなきゃならんのだ。もっとお金を使う所がある筈だよ。

 

では、これからのS.H.Sはどうなっていくと感じていますか?

 

城丸 なんでもそうだけど、世代交代って大事なんですよ。会社も人間も老化していくんです。うちは37年目。やっぱり10年20年…100年継続するって半端じゃないんですよ。100年続けている小売、新潟で聞いたことあります?

 

ないですね。

 

城丸 そうだろ?さっきも言ったけど編集、企画といったことを我々に共感してくれる外部の人と一緒にやっていければ最高だ。1人では限られてしまうから。でもこれが集合体になった時に表現力が増すわけですよ。それが集客の大きな要因じゃないかな。直接的にコレを売るというより、どこかへ行こうと思った時にこの店に来たいと思ってもらえるような店でありたい。この時代にどうやって継続していくか。それが表現であり編集、企画。うちで言えば食があったり、子供服があったり、若者向けの洋服屋があったり、住宅紹介所があったり。老若男女が一緒に来る動機がある。自分が興味がないことも店の中で一緒になってる。そうなるといずれ「見ていこうか」ってなったりもする。家具を売るのは一番大事だけど、巡り巡って来てくれればいいかな。あとこれだけ書いておいて。一生懸命仕事をすると毛は抜ける!仕事をすれば何かは犠牲になるんだ。抜ける前に剃れ!

 

 

 

最後はユーモアたっぷりに締めてくれた社長。社会に対しての憂いや不満もある中で、今のお店の方針や存在意義には絶対的な自信やブレない信念がありました。

S.H.Sは家具屋ですが、家具屋というだけに留まっていてはいけない、色んなお店や人との繋がりとそれをとりまとめて一つの空間にし編集し企画することが仕事だと話してくれました。

今の家具業界はもの凄くアンバランスな力の偏りがあり、「良いもの」「欲しいもの」「必要なもの」これらの選び手の考え方が変わっていく時代でどう思いを伝えていくかがキーポイントになっている気がしました。

「長く使う」と思える価値観が揺らぐ時代。S.H.Sへその答えを探しに行ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

<インタビュー終わり>

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