社長ブログ

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お客様2012.1.24


米軍の払い下げ家具やアメリカユーズド家具を主に取り扱っていた頃のお客様は、お客様ご自身がアメリカの60~70年代の暮らしに憧れを持っていて、映画や音楽、ファッション等々トータルで好きという人が多くいらっしゃいました。私もお金が無くて国内の米軍基地しか回れなかった時代ですから基地内のハウスの様子などをお話しすると非常に喜んでいただけたものでした。したがって私もお客様も気持ちが一緒になり家具以外のアメ車の事で時間を忘れてしまう事もしばしば。そんな事を通じてつながってしまうものですから家具の話はひとつもしていないのに突然「ちっとキズがあんなぁ、ここ。この辺色がムラだな。・・まぁいっか、届けてくれる? 今すぐ。」“え”なんですよ。「ホントにこれでいいんですか?」って思わず聞き返したこともありました。

突然の納品で伺う時はお客様に手伝ってもらって部屋へ運んだりするんです。重い家具私1人で持てませんから。そうすると慣れないお客様と運ぶので壁や柱に家具をぶつけてしまう。当然傷つきます。「ま、しょうがないか」って許してもらったり。引きずって床にキズつけても「ま、いいか」って、そんなお客様が多くて助かりました。すごくいい時代でした。許していただける時代があったんです。でもそれに甘え調子にのっていましたら「私は絶対にあなたを許さないから」という声もたくさんいただきました。どちらが多かったかわかりません。只々、助けていただいたということです。現在は念には念を入れ、注意を払い配達及び納品をさせていただいています。それでもたまに不注意からお客様にお叱りをいただくこともあるのが現実です。申し訳ありません。今まで以上に努力いたします。

先日、昔からのお客様に取材のお願いでご連絡したことがありました。「ちょっとお願いがあるんですけど・・」と申し上げるとお客様はすかさず「お金?」っておっしゃる。最高でしょう!「いやいや、取材のお願いなんですけど」とお伝えすると「なーんだ、お金じゃないの。」ですよ。私嬉しくってお客様と一緒に笑ってしまったんです。私のことを何年経っても心配していただいている。
昔からのお客様の中にはずーっと心配していただいている方がいてくださる。長く続けることは辛いこと、苦しいこと、嬉しくて最高っ!と思わず声を出してしまうくらいのこと、色々なことがあります。商売を超えて損得抜きでお付き合いいただける人にお会いできるってグーッとくることではないでしょうか。なんだか過去のことばかり話してますが先のことは誰もわからないじゃないですか。やっぱり、過去・現在・未来だと思っています。


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実は演歌2012.1.23


昔からの仕入れ先である米軍基地。中でも私は北国の基地が好きなんです。それは前にもお話した青森県の三沢基地。なぜそこが好きなのか・・・・うーん、やっぱり立川や福生、座間、あるいは岩国のような明るさやカッコよさがあまり感じられないこと、そして私自身が田舎者なので性にあっているということです。それと北国の基地は競争相手が少ない様な気がしたんです。当時2tトラックをレンタルして国道7号線を新潟、山形、秋田、青森と北上していく時に聞きたい歌はもちろんさぶちゃん!北島三郎の風雪流れ旅。日々のBGMはあの頃ボブマリー、でもこの時は決まってさぶちゃん聞きたくなるんだ。わかりますか?日本人なんです、やっぱり。長距離トラックのドライバーの私に沁みるのは北島三郎の演歌。これからアメリカの基地へ行く私ですけどね。笑えるでしょう。ラジオから流れるさぶちゃんの歌声にとめどなく“涙”が流れる道のりです。これから仕入れに行くんです。仕入れは仕入れですけど一体何がどのくらいあるか見当もつかない、こうして行ったとしても買えるか買えないかもわからない。けれど、でも、行かずにはいられないんです。ミスタースガヤマが待っていると思うと。

このミスタースガヤマ、いつも私の期待を裏切る男です。こちらの思い通りに仕入れさせてくれない男。彼は日本人・東北人、いや中国系、いや韓国系、なんだかよくわかんないんですよ。要は日本人離れしている。このミスタースガヤマには精神を鍛えられました。常にギブアンドテイク。仕入れたいならその前に俺の仕事手伝えってトラックに乗せられて基地の中のゴミ積みをガッツリさせられる。クタクタになってから仕入れがようやく始まるという具合。私が多少図太くなれたのはミスタースガヤマのおかげかもしれません。…あんまり酷くて1度だけこっそり仕返ししたことがあるんです、実は。何したんだってそれは私だけの秘密です。ちょっとスッキリしました。スマホやネットの世界ではない、人間が五感を使って行きたい場所、会いたい人、話したい人と見てみたい物、触ってみたい、運んでみたい、そんなことが実は一番大切にしなければならない事かもね。もちろん仕事着は迷彩パンツにファイヤーコート、重いんですこのコートが。でもあえて着ていく。そうして基地に着くとヤンキー(米兵)に笑われるんです。頭くるんだけどいいんです笑われても。だって私はその気になってますから。

三沢基地のある三沢市には詩人寺山修司のミュージアムがあって有名な言葉を残しています。「百年たったら帰っておいで百年たてばその意味わかる」この言葉を読んだとき私は涙が止まりませんでした。当時、仕事は何をやっても思うようにいかずこの先どうなるのだろうと毎日不安と焦りの中にいました。ですから寺山修司のこの言葉の意味、グーっと来るわけです。今でもそう。もっと頑張ろう、貧しくても続けていこうと。北と言えばもう一人、倉本聰が北海道の富良野で富良野を舞台にしたドラマ、北の国からを開始した頃でした。やっぱり南でなく北なんです。寒くて、厳しくて、でも人が温かくて。ミスタースガヤマもある意味で温かかったのかも?どうも私はこういった風にみんなつなげてしまうんです。物凄く影響されてしまいます。自分勝手な見方ですみません。

ところで倉本聰が北島三郎の付き人をしていたという話はご存知でしたか。彼が自伝の中で書いています。それは驚きでした。北の国からを始めとする倉本ワールドは演歌の世界なのかもしれません。こうしてみると私の好きな人、全員北なんです。たった一人を除いて。アクメの安田さんだけは奄美大島、唯一南。私は何か決めるとき無意識に寒くて厳しくて辛そうだなぁと思う方向に走っているように思います。“やっぱり北かぁって”その仕事を初めて30年経ち、でもまだわかりません。100年経ったらその意味わかると寺山修司が云っている“その意味”。若い人にパスザバトンし100年続けられたらその意味わかって最高!!ってなるかもな、この新潟という田舎の町で。そして私は田舎だからこそグッドなんです。


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お客様2012.1.20


私にとって基地であるS.H.Sは“家族が楽しめる、親子三代一緒に来てみたくなる”がテーマです。食とインテリアとファッション、そして花。小さな店がお互いに自分たちの世界観を大切にしながら「一緒にやろって!」と日々を過ごしています。仁ちゃんは花屋に勤めたことのない花屋、ジェームズの塩谷君も洋服屋に勤めたことのない洋服屋、私も家具屋に勤めたことのない家具屋。実は星野建築事務所(ルームズ)の星野も設計事務所に勤めたことない設計屋。皆さん前の仕事は今の仕事とは関係ない世界から立ち上げている。ですからその業界や業種の常識にとらわれない0(ゼロ)思考で物事を考えていると思ってます。なまじっか同じ業種で考えてしまうと新しい思考や動きは生まれないかもしれません。ですからその道何十年というのはある意味素晴らしいことですが、マイナスや0(ゼロ)から自分流に組み立てるのはワクワクしますね。失敗して当たり前ですから。専門家って失敗は許されないような意識強くありませんか?たくさん失敗するからこそ新しい発見があるのじゃないですか。

そんな仲間たちがつくる基地にご来店いただくお客様。毎日の店での風景で私が一番嬉しいことがあるんです。お母さんと小さな女の子が店の扉を開けて入った瞬間に「うわぁー、ママステキねぇ!」ってにっこりして小さな声で話をする光景。これは本当に嬉しい。こちらの顔までほころんじゃうんですよ。女の人を喜ばせる、“女”が“喜ぶ”と書いて“嬉しい”という字になるでしょう。そうなんです、店は女性が喜ばないと“嬉しい”にはならないのです。男はあんまり喜ばない方が良いかもしれないな。草食男子よ、女を喜ばせないとな!矢面に立ってさ、体を張ってさ、「お前が気に入ったんだから買えよ、俺金だすからさ」でしょう!もう少し、もう一日考えようって男の人、多いんです。最近。今日から止めようよ、そういうの。カッコ悪いから。私はね、そう思いますよ。20年前は「お前が気にいったんだから」ってこういう男が結構多かったように思うけど今はちょーっと変わってきたね。

こんな考え方や生き方を可能にするのは、好きな仕事を見つけて一生懸命働くことなんだよな。私思うのですが、不景気は君の考え方と生き方が招いているのかもしれないって。こどもと女性を喜ばせるような仕事をすれば必ず景気は良くなると信じている。でもね、なかなか喜んでくれないんですよ、女性というのは。女の敵みたいな私が云うのもなんなんですが、実を云うと沢山迷惑はかけてきました。だから今、反省をして、追求している私というのがここに存在しているのです。


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私の仕事着2012.1.13


私の仕事着、以前にもお話しましたが迷彩パンツでした。
長いこと迷彩パンツにMA‐1(迷彩語らしたら長いよ。ネイビーとアーミーじゃ全然違うんですよ。大体さ…ま、やめときます。)
いや、G‐8(これ語らしたら朝まで語りますよ。この辺りの内側に血のりがつい…ちょっと戻ります。危ないし朝になっちゃうから。)にレイバンのサングラスでUSエアフォース張りでね。笑っちゃうね、今考えると。
それからジーンズやチノパンにTシャツ・ポロシャツ・セーターになり。
鳥屋野に移ってからはスーツの時もありました。その後カーゴパンツになり、またジーンズをはいてみて、迷彩パンツに戻ったりもしています。
制服がある会社、スーツの会社の方から見ると仕事着とは無縁のスタイル、作業着とでも言われそうですね。
ですけど、私のハレの日のファッションは仕事着かもしれません。それが30年続けてきた私のスタイルだからです。
昔、娘の参観日に迷彩パンツで行ったら「お父さん自衛隊なの!?」って言われて、娘より私の方がショックでしたね。USエアフォースなのに。
ま、参観日はジャケットですね。教訓です。そんなことやあんなこといろいろやりながら30年です。
一般的に人間にも寿命があるように会社にも寿命があるそうです。それが30年といわれています。
だったら生まれ変わればいいかなと思ったりもしてます。また同じ事始めるでしょうけど。
もっと頭使うかもしれません。今まで体しか使ってこなかったので。
最近体使わない人が多いように思います。すごく便利になって。スマホでしょう、ネットでしょう、知ってしまうから動かなくて済むわけですよね。
よくスタッフに言うんです「知ったふりするな!」って。今会いたい人がいるか、読みたい本があるか、行ってみたいところがあるか、見たい映画・聞きたい音楽があるか、物凄く食べたい物があるかって。
これ全部スマホやネットでは体験できないこと。人の体って五感を使って動かないと駄目なんですよね。
人間は見るだけでは駄目ですよ。読まなければ、話さなければ、そして考えないとね。
情報だけや本だけとか、限られた人の話や世の中の流れに流されたら駄目ですね。少し疑ってかからないと。
私は仕事はなんでもいいと思っています。好きな事を仕事にすればね。他人が何と言おうが。
世の中不安になると安定した仕事を選びたいと思う気持ちは理解できますが、ほんの一部の人がそういう仕事につけるわけですよ。
9割以上はそうでない仕事。だからこそ、好きな事を仕事にすることが大切だと思うのです。
その時問題になるのは“何が好きか”です。これが曖昧だと駄目。
私の会社でも、スタッフの中には好きじゃないのに毎日働いているように見える人もいます。
私が考える組織の理想は、好きな事を好きになって、好きな人と一緒に一生懸命やることだと思っています。簡単です。
雨が降ったり風が吹いたり、雪が振ったり地震が起こったり。何があるかわからない。だからこそ好きな事をしましょう。自分のために。
条件や安定も大切だけれども、もっと大切なものに出会うことができる、そういう9割の人になりましょうよ!!
就職活動大変ですよね?仕事着というのは大事です。スーツでも良し、迷彩パンツでも良し。要するに、好きか嫌いかです。


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長岡店のこと2012.1.9


最近の朝の話題は長岡の店のこと。
今の店の隣にある古い館に手を入れているところなもので。
今日もそんなことから長岡に出店したのは何年前だったかなと。
今から16年前、城内町の小さな3階建ての古いビル。
いつものように自分たちで改装した小さな店でした。
入社して3年目の村上が店長として行きました。
新潟から通って手を入れて何とかオープンしました。
長岡出店記念の初日、頑張った結果は売上0円です。
DM出して、もう覚えていませんが100人くらいのお客様にご来店していただきました。
でも売上0円。すごいでしょう?「めちゃくちゃ厳しいなぁ!!ムラカミィ!」と叫んだものです。
しかし、これが良かったと思います。甘いわけです。すべての面で。
翌日から死んだ気になって仕事やりました。地域を知らないのは駄目ですね。
長岡は城下町です。伝統と歴史、米百俵の町。保守的でよそ者はなかなか信じてもらえない。
なんたって仕事着。私、迷彩パンツですから。危ないわけです。
したがって最初の店は1年半位でクローズド。
次に左近に移って2年でクローズド。
一か八かの要町。交差点の二階建て倉庫を100万円という低予算で直し160坪の店。これも大きな挑戦です。3度目の正直といったところでしょうか。
「え?!ずっと移転じゃなかったんですか?」とスタッフに驚かれましたが、私にしたら「これは駄目だ。もう一度一からやり直し」という気持ちです。
この時、長岡での営業年数約9年。この要町の倉庫を再生した経験が実は鳥屋野店の古い倉庫の再生に活かされているのです。
ですから長岡市要町の店というのはその後S.H.Sが変わっていくキッカケだったんです。
そして現在。高畑町に店を移し、今年で4年目を迎えます。
S.H.S 長岡店、以前は「長岡館」という旅館でした。
地元の皆さんに言われました、「こんな場所にぃ、なにするがぁ?」
「私、旅館やります。但し広い館にはインテリアを置きます。売店は普通のお土産屋じゃなく、小物雑貨を置きます。大広間では宴会するんじゃなく、おいしい食事を楽しめるレストランが入ります。」
皆さん「へぇー!?」「こんなとこ人が来るが?!」「来ないがじゃぁねぇが?!」がぁーが、がぁーが、おっしゃるわけです。
私はいつも心においていることがあります。
勇気をもって誰よりも早く人と違ったことをする。ということなんです。
でも、あまりにもがぁーが、がぁーが、おっしゃるので、さすがに、心が少し折れそうになりました。でもやるんです。
昨年、新緑の頃から隣に佇む古い館の再生をとうとう始めました。
昭和30年頃に建てられた古い館です。
この大きな仕事、どうするかなぁと不安だし心配でした。ずっと。でも最近はちょーっと勇気が出てきてます。
この古い館の再生に参加してくれている3人の存在が。
なんちゃって大工の土田君と、家具職人の丸山君、今は休んでいますがログハウスとツリーハウスを造る星野君。
私、幸運なんです。何かやろうとすると自然とNPO法人みたいな人に出会う。
前にお話した、粗大ごみ拾ってた頃の三宅君みたいな、そんな存在です、この3人。
私の会社のスタッフじゃないんです。でも、手伝いたいって来るんです。嬉しいです。
特になんちゃって大工の土田君、これが私好みの人間。なんちゃってって自称ですよ。この表現が最高。で、ちゃらっと見えて実は血液型A型。仕事となると目が真剣。仕事が早い。大工ですからね、きっちりしてます流石に。で、私はいろいろ考えさせられる。けど彼の大工仕様を少し崩してるところ。加減が大事。
丸山君はO型。十日町出身。東京経済大学でてインテリアの仕事して家具づくりを学んで、縁あって現在S.H.Sで内装や家具の修理をしてくれている男。この人が職人気質。黙々手掛ける。またいろんな事やってきてるからおもしろい。会えばわかります。
休んでる星野君がまたA型。この人がすごい几帳面!木の上に家つくるってのはこういうんじゃないとできないのかとまで思わせるほどの几帳面です。アイディアが次々出てくる。謙遜する所がカッコいい。
見てて思うんです。土田君、相当S.H.S好きだと思います。
そして初めて彼は大掛かりな古屋再生の親方として日夜真面目に、酒を飲まずに、少しだけ遊んで、頑張っています。
古いものを直すというのは図面が無いのです。私は店をつくる時は基本的に図面書かないです。書けないんです。私に会えばその訳が分かります。…どんどん変化する。
本当は図面て大切なんです。承知してます。図面通りにやればね。
でも、ふと考えてしまいます。スタートからゴールまで明確な事なんてあんまりないじゃないですか。
好きな事を好きにやっていくとどんどん変化していくような気がするのは私だけでしょうか。
特に、私のような人間て誰もが気づかなかった所や忘れ去られた所、もう一度見つめなおすと物凄くステキに思うことがあります。
私が粗大ごみを見てステキだと思って、拾って直して色塗って喜んで、これ欲しいと言っていただいたお客様がいた30年前。
私にとって「やった!」なんです。今もその精神は脈々と流れています。
鳥屋野の倉庫も、長岡の旅館も、普通の人には解らなくても私には最高の宝物に映るわけです。
大きな荷物が背中にずっしりとありますが、でもきっと挑戦というのは好きな事を好きなだけ仲間とやり続けることなのかもしれません。
失敗の連続ですけど。だから挑戦し続ける日々なんです。


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マネから個性へ2012.1.8


おかげさまで30年経ちました。
「憧れたオーパ、アクメやカーフのような店を新潟にもつくりたい」と真似から始めたツールボックス。
でも何年か経って気がつくんです。
「いや。真似てもアクメやカーフにはなれないな。やっぱり、俺は俺しかできないことをやろう。」って。
それからの私は改めて新潟という町をじっくりとみるようになりました。
新潟らしさ、人、場所、文化、産業、色々なことの“ならでは”
三条ならでは、長岡ならでは、というように。
すると、店の場所も “らしさ、ならでは” がキーワードになる。…古町じゃないよな。
“俺らしさ、俺ならではってなんだろうな・・・”
新潟の町を車で走りました。色々な場所。そして考える。
その頃、私の愛車はハイエースでした。私の親友。
配達のとき、買い付けのとき、悩んだとき、いつも一緒の親友と。
ある日鳥屋野潟を通りかかりました。
ふと10年前にUSED家具を保管のために借りた倉庫のことを思い出した私はそこに行ってみました。
倉庫に着くまでの景色、環境が次々に目の前に現れます。
「こんなだったかなぁ、・・・・すっごくいいな!」 私にはそこが最高の宝物に見えました。
新潟には信濃川や日本海、新潟らしさはたくさんありますが、
“俺らしさ、俺ならでは” 私は鳥屋野潟を選びました。忘れられた場所の古い倉庫。
私にしたら新潟で米軍基地みつけたぜ!というような心躍る感覚ですよ。
ところが、全員反対!誰一人として賛成しない。
「あんな場所?」「誰も来ないでしょ。」「人が通らないような所に店?」話す人話す人これでした。
普通はそうです。だって商売の原則は人が大勢集まる場所へ出店する、が当たり前ですから。
でも本当にそうでしょうか。私は伝え続けました。
「違うんだて! よく見てみろ。目の前には県立図書館、自然科学館、鳥屋野潟公園。こんな素晴らしい環境は他には無いだろ!!」 
人に伝える度に自分の中で固まってくる。思い込みの強い私は益々ここが最高の場所に見えてくる、感じてくる。
私は常々逆を考える様にしています。
そうすると、「わざわざ来ていただこう」「普通では駄目だ」「少し変わってないと」「何年かかろうがやる」 
色々な気持ちが沸々と湧いてきました。
『必ずお客様に足を運んでいただける!!』そんな思いだけで走り出しました。
でも、そんなに簡単にはいきません。
中心商店街から離れた私(郊外者)は、最近中心市街地再生やまちなか再生という“中心部”ということが注目されていることについて、
一端人が離れた理由をよく考えることがまずは第一だと思います。
時代は大きく変わった。というか、変わり続けていますよね。
どこの地方都市でも○○銀座みたいな通りを作り、都市の真似をする。
田舎の町は都会のようになれるはずもないのに、都会と同じような街並みを思い描く。
これでは“らしさ”など失う訳です。
新潟=港町、リバーサイド、ノスタルジーとか、そこにしかない、物・事・人ってどんなことなんだろう。
無理して人が集まるシステムや仕掛けが必要なんだろうか?って思います。
私の店の話に戻りますが、全国の米軍基地を回ってきた私ですから、ここは私にとって米軍基地のようなものです。
但し、ここは戦争のための基地でありません。
私の考える基地は「お客様にとって楽しくて、ワクワクして、いつ行っても新鮮でおもしろい」場所。
S.H.Sという基地づくりに没頭してます。
補助金使わずにお客様に助けてもらって、カーブドッチレストランに助けてもらって、ラリックの仁ちゃんに助けてもらって、
ジェームスの塩谷君に助けてもらって、もうひとり星野設計事務所の貴行にも助けてもらって。大変ですけど?
これが私たちの田舎の小さな商店街であり、大切な基地なんです。


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人との出会い2012.1.4


2012.1.4 新年あけましておめでとうございます。
初売りは1月2日から営業しました。
たくさんのお客様にご来店いただき、本当にありがとうございます。
少しだけ私も駐車場の誘導しました。
さて、年末は米軍基地を回って、という話をしました。
北は青森の三沢基地で、私は人生で最高の出会いのきっかけをつかみます。
「おめぇ、東京の安田っちゅう人知ってっか?」
その頃世話になっていたスクラップ屋のミスタースガヤマが聞くわけです。
「おめぇとおんなじようなのが東京からもくんだ!」
東北弁丸出しだから何言ってんだかよくわからないんですけど
「おめぇとおんなじようなの」がどうも気になって。
もちろん、会いに行きました。
当時、恵比寿のオーパという店の経営者、後のアクメを立ち上げた安田という人に。
新潟の田舎者の私が、恵比寿のオーパの安田さんですよ。いや、アクメですけど。
その安田さんとのお付き合いはもう20年以上になります。
安田さんの紹介で㈱カーフの島田社長との出会いつながって。
このおふたりは、私が商売を続けるにあたって大変お世話になった人です。
おもしろかったし、刺激的だったし、何よりカッコ良かった。
人間はどっか憧れが無いと駄目ですね。
販売する物、店、目に見える事だけでなく、心の中にある願望はどんなに苦しくても一筋の光になるような気がします。
特に、安田さんと酒を交わす時。
決まって北の国からの五郎の話になり、例のポケットの中から泥だらけの壱萬円を純に渡すシーンの話で泣くわけです。
ふたりとも…お金に苦労していました。子供もいました。
好きな仕事をしていてもお金が無いわけです。
今でも彼とは年に1度は酒を交わし、何百回も同じ話で泣いたり笑ったりします。
カッコいい日本人離れしたムービースターのような安田さんとです!(今はブルースウィルスみたいな感じだな)
アクメは今は安田さんの会社ではなくなりましたが、私にとってはやっぱり以前のオーパやアクメが最高です。
こうしてみると、人との出会いは自然とできていくような気がします。
損得や商売のためとかいろいろありますが、憧れやカッコ良さ、言葉にならない、目には見えないけど共感する、共鳴する、大切な事があるように思います。
そして、その後も永く永く続く“ご縁”みたいなものが。
大事なことは、自分が今携わっている仕事にどれだけ夢中になって取り組んでいるか、これに尽きると思うんです。
そうすると、自然といい人に出会える、と思います。
仕事は長い時間をかけて夢中に熱中するしかないように思うのです。
今年が皆さんにとって幸せな年でありますように。
つづく。


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